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ジョージ・ハリスン『LIVING IN THE MATERIAL WORLD』

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LIVING IN THE MATERIAL WORLD

「口を開いても、自分が何を言おうとしているのか分からないことがある。そして何であれ、口から出てきたものが出発点なんだ。もしそういうことが起きて、しかも運が良ければ、大抵の場合それを歌に変えることができる。この曲は祈りであり、僕と主と、そしてそれを気に入ってくれる人との間の個人的な声明文なんだ」。ジョージ・ハリスンは、彼の曲の中でも最も人気の高い曲の1つ「Give Me Love (Give Me Peace on Earth)」について、こう語っていた。
この曲がシングルとしてリリースされたのは、1973年5月7日。同曲が収録されているアルバム、つまりジョージにとってソロ4作目となる、待望の『Living inThe Material World』の発売3週間前のことだった。
ジョージはアルバム『The Concert for Bangladesh』と同名映画の仕事で多忙を極めていたため、『All Things Must Pass』に続く新作に着手したのは、1972年半ばになってからであった。当初ジョージは、フィル・スペクターと共に取り組むつもりでいたが、彼の当てにならない仕事ぶりのせいでさらに遅れが生じ、最終的にハリスンは、自身がプロデュースを手掛けることで新アルバムの制作を敢行することに決めた。
これまでのアルバムは、相当数のミュージシャンが参加していることが特徴だったが、今回、1972年秋に行われた「Give Me Love (Give Me Peace on Earth)」のレコーディングで集められたのは、遥かに少人数のグループであった。1973年初めにジョージが後から加えた素晴らしいスライド・ギターを別とすれば、この曲で輝きを放っているのはピアニストのニッキー・ホプキンスだ。その他、この曲に参加しているミュージシャンは、元スプーキー・トゥースのオルガン奏者ゲイリー・ライト、ベースには旧友クラウス・フォアマン、そしてデラニー&ボニーやジョー・コッカーのバンドの重鎮を務めたジム・ケルトナーがドラムスを担当している。
「Give Me Love (Give Me Peace on Earth)」は忽ち人気を博し、ジョージの曲の中でも最も長く愛されている曲の1つとなったが、その理由はこの曲を聴けば簡単に分かる。一見、シンプルに思えるものの、サウンド的にも歌詞に表現された感情の面でも、上辺とは異なる複雑さがあるのだ。 各楽器は、ミキシングによって完璧に配置されている。ライトのオルガンを土台に、軽快でありながらリラックスした雰囲気を生んでいるケルトナーのドラムス。ホプキンスは彼の世代で最も高い評価を受けているロック・ピアニストの1人で、ジョージの素晴らしいスライド・ギター・フリルとソロ(彼のギター・ソロの中でも最高レベル)を完璧に引き立てている。
『Living inThe  Material World』のリリース時に書かれたビルボード誌のレビューによれば、「ハリスンは人々を惹きつけると確信」しており、「スタジオ仲間(リンゴ・スター、ゲイリー・ライト、クラウス・フォアマン、レオン・ラッセル、ニッキー・ホプキンス、バッドフィンガーのピート・ハムら)に囲まれて制作したこのロンドン産の作品は、本質的に内省的かつスピリチュアルだ」。
当然ながら、このアルバムには、ジョージが手掛けた最高レベルの楽曲が、1曲ならず複数収録されている。本作の収録曲で一番古いものは、1970年に遡る。「Try Some, Buy Some」は1970年に書かれ、当初は元ロネッツのロニー・スペクターが1971年2月にレコーディングしていた。
「Try Some, Buy Some」およびアルバム表題曲には、本作に収録された他の多くの曲同様、ジョージの精神性が反映されている。そこに含まれているのが「The Lord Loves the One(That Loves the Lord)」や「「Give Me Love (Give Me Peace on Earth)」だ。「The Day the World Gets ‘Round」は、1971年8月に開催したバングラデシュ難民救済コンサート(Concert for Bangladesh)に触発されて書かれた曲である。

その他、ビートルズが残したレガシーを振り返っている曲もあり、特に「Sue Me, Sue You Blues」がそれに当たる。だが本作は、単に“元ビートルズ”の1人としてだけでなく、独立した個人として見てほしいという、ジョージの願いを反映したものとなっている。そのカテゴリーに属しているのが、「The Light That Has Lighted the World」や「Who Can See It」、そして「Be Here Now」などといった曲だ。

美しい「That Is All」や「Don’t Let Me Wait Too Long」といった伝統的なラヴ・ソングには、尚も精神性があるようだが、後者には、1960年代初頭のブリル・ビルディング直系の曲が持つあらゆる特徴が備わっていると、複数の評論家が示唆している。

アルバムのタイトルおよび物質主義に対する自身の考え方を補強するかのように、ジョージは本作の11曲のうち9曲と、アルバム未収録のシングルB面曲「Miss O’Dell」の著作権を、自身が立ち上げた<マテリアル・ワールド・チャリタブル基金>に寄贈した。 このチャリティ基金は、バングラデシュ難民救援活動を妨げた税務問題に対処するためと、彼が選んだ他の慈善団体を支援するために設立されたものだ。

シングル「Give Me Love (Give Me Peace on Earth)」は、米国では1973年5月7日、英国ではその2週間後にリリースされた。 同曲が全米チャート入りしてから6週間後、ジョージは全米シングル・チャート1位から、ポール・マッカートニー&ウィングスの「My Love」を引き摺り下ろし、自ら首位の座に立った。元ビートルズの2人で全米チャート上位2つの順位を独占したのは、この時が最初で最後である。 同シングルは、英国やカナダを始め、世界各国のシングル・チャートでトップ10入りを果たした。

興味深いことに、米国でアップル・レコードの配給を行っているキャピトル・レコードは、アルバム・ヴァージョンよりも若干速いスピードでシングルをマスタリングしていた。その方がラジオ映えすると、彼らは考えていたからである。

米国で既に大ヒットとなっていた『Living in The Material World』が全英チャート入りしたのは、1973年7月7日のこと。全米に続き、あと少しのところで英国でも首位を制しかけたが、ヒット映画『That’ll Be The Day』のロックンロール・コンピレーション・サウンドトラックに阻まれ、惜しくも最高位2位に留まった。

想像力を刺激する、本作のタイトル。後に、ジョージの軌跡について描かれた、マーティン・スコセッシ監督による2011年のドキュメンタリー映画と、その公開に伴い、妻オリヴィア・ハリスンが刊行した、直筆の手紙や思い出の品々等を含む秘蔵写真が掲載された豪華写真集の両方に、同じ題が付けられている。

ジョージは後にこう述べている。「大抵の人が、“物質社会”というのは純粋にお金と貪欲さを象徴していると捉え、不快感を覚えるのだろう。 だが僕の考えでは、それは“物質世界”を意味する。それがお金と貪欲さなら、物質社会の貪欲な人々にお金をあげてしまえばいいという考えなんだ」。

ジョージは自身が特別な人間であることを、彼がよくそうしていたように、ここでもまた証明していた。

- Richard Havers

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