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ジョージ・ハリスン『DARK HORSE』

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DARK HORSE

ビートルズの解散を受け、完全なソロとして行ったジョージの初ツアーは、5枚目のスタジオ・アルバム発売に先駆けた、1974年11月に幕を開けた。 これはビートルズ4人の先頭を切って行われた初めての北米ツアーでもあり、11月2日のカナダ公演を皮切りに各地を回ったこの1974年ツアーには、バングラデシュ・コンサート同様、インドの熟練ミュージシャン、ラヴィ・シャンカールが参加していた。

バンクラデシュ・コンサートの出演者で、1974年のツアーにも参加したその他のミュージシャンには、幾つかのソロ曲も担当しバンドの要となっていたキーボード奏者のビリー・プレストン、ドラマーのジム・ケルトナーとアンディ・ニューマーク、そしてトランペッターのチャック・フィンドレーらがいた。 74年ツアーの残りのバンド・メンバーは、サックス奏者のトム・スコットと、ジム・ホーン、そしてギタリストのロベン・フォード。その全員がLA・エクスプレスでスコットと一緒にやっており、3人共ジョージのアルバム『Dark Horse』に参加していた。

この時のツアーは、後に<ダーク・ホース>ツアーとして知られるようになった。 ジョージは自身が新たに立ち上げた同名レーベルを通じてラヴィと契約しており、26公演に渡って行われたこのツアーでは、ツアー終盤に発売された新作の曲も幾つか演奏されている。 だがこれは、ジョージにとって幸せな時間ではなかった。 彼はツアー中ずっと咽頭炎に苦しんでおり、毎晩ハチミツと酢とぬるま湯を混ぜた物でうがいをして症状の緩和に努めていた。 1日2公演を行った日が数多くあったという事実も、状況の改善には役立たなかった。

ポーランド公演はキャンセルを余儀なくされたものの、咽頭炎によって制約が生じたにも拘らず、ジョージとバンドはツアー中ずっと、堂々たる演奏を披露し続けていた。 このツアーが一部から批判を受けたことにジョージは不快感を覚えたが、そんな批判がなされたのは、驚くほど高い期待を事前に抱いていた人々がいて、簡単には得られないものを望んでいたためだと思われる。

アルバム『Dark Horse』の制作は、1973年11月、フライアー・パークの自宅で始まった。 セッションでは当初、『Living In The Material World』に参加していたのと同じラインナップのミュージシャンを起用。つまり、リンゴ・スター、ジム・ケルトナー、クラウス・フォアマン、そしてゲイリー・ライトとニッキー・ホプキンスが、代わる代わるキーボードを担当していた。この時点でレコーディングされていたのが、「Ding Dong, Ding Dong」と、表題曲の初期ヴァージョン、そして「So Sad」のベーシック・トラックだ。 1975年3月、ジョージの近隣に住んでいた、テン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リーと、その後間もなくしてローリング・ストーンに加入するロニー・ウッドが、「Ding Dong」にリード・ギター・パートを加えている。

1974年4月、ジョージはロンドンのニュー・ビクトリア劇場で行われたジョニ・ミッチェルのコンサートを観に行った。彼は、ジョニのバックを勤めていたジャズ・ロック・バンド、LAエクスプレスに感銘を受け、サックス奏者兼フルート奏者のトム・スコットが率いるこのバンドを、翌日フライアー・パークに招待。これで、ハリスン、スコット、ロベン・フォード(ギター)、ロジャー・ケラウェイ(キーボード)、マックス・ベネット(ベース)、ジョン・ゲラン(ドラムス)が揃い、この顔触れでインスト・トラックを録音。それが後に、アルバムのオープング曲「Hari’s on Tour (Express)」となった。 彼らはまた、 アルバム『Dark Horse』収録の「Simply Shadey」も録音している。 スコットはその後しばらくフライアー・パークに滞在し、「Ding Dong」の他、2つの新曲にホーンを被せて録音した。

8月下旬、ジョージは、ビリー・プレストン、スコット、ドラマーのアンディ・ニューマーク、ベースにウィリー・ウィークスという面々でアルバムに着手。 この全員がツアーに参加する契約もしていた。彼らがレコーディングしたのは、「Maya Love」と「Far East Man」、そして「It Is ‘He’(Jai Sri Krishna)」だ。 10月上旬、ジョージはLAに飛んでツアーの準備を始めたが、その時彼の声は既に不調に陥っていた。 新しいアルバムを完成させなければならない状況の中、彼は相当なプレッシャーを受けていたのだった。

ジョージはハリウッドのA&Mスタジオを使い、ツアー・バンドと共にサウンド・ステージでリハーサルを行った。 同時に、フライアー・パークでレコーディング済みだった『Dark Horse』の楽曲に、A&Mで録音した多くのヴォーカルを加えて曲を完成。 ジョージが喉頭炎と診断されたのは、この間のことだ。スコットによると、ジョージはある晩一人でスタジオに入り、モーグ・シンセサイザー、ドラムス、エレクトリック・ピアノ、エレクトリック・ギター・パートをアコースティック・ギターに加え、「Bye Bye, Love」を録音したという。

「I Don’t Care Anymore」がレコーディングされたのもこの段階のことで、同曲はアルバムには収録されなかったものの、米国ではシングル「Dark Horse」のB面となり、その後英国では「Ding Dong, Ding Dong」のB面に採用された。 結局ジョージは、自宅スタジオで録音した方の「Dark Horse」をボツにし、ツアー・ミュージシャン達と同曲を録音し直している。

アルバム発表時のレビューは絶賛とは言えなかったが、時間と共に、人々は本作を異なる次元で評価するようになった。当時のジョージの世界が本作で絶頂期を迎えつつあったのと同時に、素晴らしい何曲かがここに含まれていることに気づいたからである。作品発表時のレビューというものは、掲載紙(誌)の締め切りに間に合わせるため、早急に書き上げなければならないことが往々にしてありがちだ。あなたのお気に入りのアルバム・コレクションの中に、購入当初にはその真価に気づかなかった作品が一体何枚あるだろう? 恐らく沢山あるのではないか。『Dark Horse』は、 そういったアルバムの1つであるはずだ。

ツアーを終え、アルバムを発表したジョージが、1975年1月にフライアー・パークに戻った際、彼はデレク・テイラーにこう言った。「飛行機から降りて、家に帰ると、まず庭に行ったんだ。すごくホッとしたよ。 あの時、僕は神経衰弱スレスレだった。 家の中に入ることさえできなかったんだ」。 その3ヵ月後、彼はロサンゼルスに戻り、次のアルバム『Extra Texture (Read All About It)』に着手することになる。

- Richard Havers

ジョージ・ハリスンアーティストページ

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