ときめく365日のためのクラシックレシピ:春、はじまりのクラシック【連載6回目 最終回】

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21世紀。「名盤」を聴くのも楽しいけれど、それぞれが思い思いに自分の「スタイル」で、日常のちょっとしたエッセンス――でも、それを聴くだけで目の前の世界をまるっきり新しくしてくれる魔法のように、音楽を楽しみたい。

では、自分らしいスタイルって、何?

この連載では、そんなスタイルの作り方(レシピ)を、季節ごとのプレイリストや、音楽のエピソードとともにご紹介。ご一緒に、ときめきに満ちた365日を過ごしましょう。

コラムニスト高野麻衣さんによる寄稿、その連載第6回(最終回)です。(第1回/第2回/第3回/第4回/ 第5回


柔らかな風が目をさまし、夜となく、ひるとなく、すべてのものの上を、和やかに吹き通う。新しい香り、新しい響き!
あわれな心よ、もう心配はいらない。すべてが、すべてが変わってゆくのだ。

ルートヴィヒ・ウーラント
Ludwig Uhland (1787-1862)
吉田秀和 訳

春爛漫の4月がやってきました。新緑のみずみずしさや咲き出した花々に、思わず微笑む日々が続きます。

今回のレシピはどんなテーマにしようかと話していたとき、担当者さんとテレパシーのように「ピクニックがしたいね」という話になりました。長い冬を耐えてようやく訪れた春は、再生の季節。戸外に出て、陽光の下で語らうピクニックは、春ならではのこの上ない歓びです。

ここ数年、自宅のベランダで過ごす時間が増えた、という方もきっと多いはず。たとえばいつものマグカップでいれた紅茶も、ベランダで飲むとよりいっそうおいしく感じますよね。近くの屋根に寝そべった黒猫を見つけたり、庭になったサンザシを発見したり、小鳥のさえずりに耳を傾けたりする時間のおともにしていただけるような、そんなプレイリストをご用意しました。

冬が長いヨーロッパで育まれたクラシック音楽には、春をたたえ、自然や鳥たちをいつくしむ音楽がたくさんあります。個人的に好きなのは、やはり英国の音楽。夏時間になった途端、多くの人が庭づくりに没頭するこの国の自然観にはわざとらしさがなく、同時に洗練されています。

なにより、4月は敬愛する英国女王エリザベス2世の誕生月。プレイリストには、即位70周年となる女王の戴冠式でも使用されたヘンデルの〈司祭ザドク〉など、英国王室ゆかりの楽曲も散りばめました。

多くの出会いや別れがあり、変化が多いのも春の一面です。

私はといえば目下、ショパンとリストという実在の音楽家たちの物語を綴る中で、音楽が持つ役割や、人と人が出会うことの意味を考え続けています。自分のやっていることには何の意味があるのだろうか。続けていいのだろうか。そうした疑問はしかし、特別な人だけのものではありません。

もし、その人と出会うことがなかったら。好きにならなければ。あるいは夢などもたなければ。こんなにせつない思いをすることはなく、心はもっと穏やかでいられたはずなのに――。私たちは日々悩み、ざわつく心と向き合います。

しかし、穏やかな微睡の中にはきっと、何かを分かち合う喜びも悲しみもないでしょう。それならば、苦しくても精一杯悩んで、愛して、世界を信じていたいと思うのです。

どんな悲劇の中でも、季節は巡ります。花、夜空、香り、待降節、物語というテーマで音楽をご紹介してきたこの連載も、今回が最終回。レシピのコツはつかめたでしょうか。

再び訪れた春の音楽たちが、ときめきに満ちた365日の友となれれば幸いです。

第6回のテーマは「春、はじまりのクラシック」。


1.ヘンデル:《アン女王の誕生日のためのオード》より〈神々しい光の永遠の源泉〉

春の日差しのようにやさしく神々しいこの曲は、18世紀のイギリスに君臨し、ステュアート朝最後の君主となったアン女王のための頌歌の第1曲。スペイン継承戦争が終結し、世界にもたらされた平和への祝福もこめられている。

作曲家ヘンデルは、ドイツ生まれだがイタリアで音楽修業し、のちイギリスに帰化。英国王室の典礼のための音楽を数多く手がけた。

2.ショパン:舟歌

舟歌(バルカロール)は、ヴェネツィアのゴンドラ漕ぎの歌に由来するといわれるピアノ独奏曲。8分の6拍子で軽快な動きを伴う。どこか感傷的なもの悲しさを含んだ音楽を奏でるのは、ラフマニノフの最後の弟子で、2022年1月に97歳の誕生日を迎えたアメリカのピアニスト、ルース・スレンチェンスカ。

3.シューベルト:春の想い

「春の信仰」と訳されることもあるこのFrühlingsglaubeは、軽やかな春の息吹の中に強さを秘めた、シューベルトらしい歌曲。「すべてが変わってゆくのだ」という宣言が今回のテーマにぴったりだったので、本文冒頭に訳詞を引用した。

4.ディーリアス:春初めてのカッコウの声を聴いて

英国の作曲家フレデリック・ディーリアスによる音詩。「音の詩」というだけあって、序盤から雲が去り、陽光が田園を照らしだすような情景が広がる。クラリネットの音で登場するカッコウは、ヨーロッパでは春を告げる鳥。生者と死者の世界を往来できるメッセンジャーでもあるそう。

5.モーツァルト:歌劇《ドン・ジョヴァンニ》より〈窓辺においで〉

稀代のプレイボーイが、恋愛遊戯と殺人の末に地獄に落ちる傑作オペラの1曲。悲劇的なクライマックスが印象的な劇中、「なぜドン・ジョヴァンニはモテるのか」が垣間見える(と私が思う)愛らしいカンツォネッタだ。英国のバリトン、サイモン・キーンリーサイドの歌唱は、キャラクターの勘所をとらえて甘い。

6.リヒター:《3つの世界:ウルフ・ワークス(ヴァージニア・ウルフ作品集)》より『ダロウェイ夫人』:庭で

2015年、英国ロイヤル・バレエで初演され絶賛された《ウルフ・ワークス》の音楽を、CD用に編曲したマックス・リヒターの名作。ヴァージニア・ウルフの3つの小説(『ダロウェイ夫人』『オーランドー』『波』)にインスパイアされた音楽は、「意識の流れ」と呼ばれる彼女の文章のように、せつなく揺蕩う。

7.ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集《四季》より〈春〉:第2楽章

「春の音楽」の筆頭ともいえる名曲より、羊飼いのまどろみを描いた第2楽章。

8.パーセル:歌劇《アーサー王》より〈こよなく美しい島〉

オペラ「アーサー王」の第5幕に登場する、ヴィーナスのアリア。美しい島とは、もちろんブリテン島のこと。単独の歌曲としても取り上げられることの多い名曲だ。

9.ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集《四季》より〈春〉:第3楽章

再び名曲より第3楽章。バグパイプの調べに乗って、羊飼いとニンフたちが躍っている。

10.エイフェックス・ツイン:アヴリル14th

4月の甘い憂鬱にぴったりフィットする名曲。Richard David Jamesのソロ・プロジェクトとして一世を風靡したエイフェックス・ツインのピアノ曲を、アメリカのヴァイオリニスト、ダニエル・ホープがカヴァーした。

11.ヘンデル:《ジョージ2世の戴冠式アンセム》より〈司祭ザドク〉

1727年、ロンドンのウエストミンスター寺院で行われた英国王ジョージ2世の戴冠式のためにヘンデルが作曲し、歴代国王の戴冠式で演奏されてきた。

1953年、エリザベス2世の戴冠式を目にするたび、26歳の女性が「王冠を戴くもの」となる覚悟に、毎回胸が熱くなる。UEFAチャンピオンズリーグのテーマ曲としてサッカー・ファンにもおなじみの、まさしく「はじまりの音楽」。

12スタンド・バイ・ミー

黒人霊歌「Lord, Stand by Me」にインスパイアされ、1961年にアメリカで発表されたベン・E.キングの名曲。ジョン・レノンなど多くのアーティストにカヴァーされたが、今では1986年の同名映画の主題歌として広く知られている。

動画は2018年5月、ハリー王子とメーガン妃の結婚式で多くの人々の心を動かした聖歌隊、カレン・ギブソン・アンド・ザ・キングダム・クワイアの演奏。

「夜がきて、大地が暗くなると、あたりは月明りしか見えなくなる。でも僕は恐れない。ただ君が、そばにいてくればいい」。人と人を結ぶ思いは、いつの時代も変わらない。そしていつだって音楽は、あなたのそばにある。

Written by 高野麻衣

Profile/文筆家。上智大学文学部史学科卒業。音楽雑誌編集を経て、2009年より現職。クラシック音楽とマンガ・アニメを中心に、歴史や人物について執筆、講演している。
著書に『フランス的クラシック生活』(ルネ・マルタンと共著/PHP新書)、『マンガと音楽の甘い関係』(太田出版)、コンピレーション企画に『クラシックの森』(ユニバーサル ミュージック)など。2021年には、原案・脚本を担当した朗読劇『F ショパンとリスト』が上演された。

HP /Twitter /Instagram





 

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