東京オリンピックを彩るクラシック音楽セレクション:トップ20作品

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Photo: David Ramos/Getty Images

オリンピックといえば、どんなクラシック音楽が頭に浮かぶだろうか。Mr.ビーン(ローワン・アトキンソン)が2012年のロンドン・オリンピックでロンドン交響楽団と一緒に《炎のランナー》を演奏したことだろうか?

1984年にサラエボで開催された冬季オリンピックで、ラヴェルの《ボレロ》を踊って金メダルを獲得したジェーン・トービルとクリストファー・ディーンのことだろうか。それとも同じ年のロサンゼルス・オリンピックでガーシュウィンの《ラプソディ・イン・ブルー》が85人のピアニストによって演奏されたことだろうか?

ただ、皆さんの記憶がどうであれ、作曲家たちは、音楽においてスポーツから特に影響を受けていない。アルトゥール・オネゲルは、特定のスポーツに関する作品を書いた数少ない人物の一人だ。彼の短い交響的運動第2番《ラグビー》は1930年に初演された。

ラグビーは初期の近代オリンピックに含まれていたが、残念ながら1924年に廃止され、以降何度も復活が試みられたが、実現することはなかった(訳注:15人制ラグビーは廃止されているが、7人制ラグビーは2016年のリオ・オリンピックから採用されている)。

話が逸れてしまったが、下にスクロールして、オリンピックを祝うための20の傑作による最高のクラシック音楽のセレクションを見つけてほしい。

東京オリンピックを彩るクラシック音楽セレクション:トップ20作品

20ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:音楽の冗談 K.522 

ドレサージュ(馬場馬術)、障害飛越競技、イベント競技は、1900年のパリ・オリンピック以来、オリンピック競技の一部となっている(その後の2大会を除く)。

馬術を愛する人々のために、英国のホース・オブ・ザ・イヤー・ショーは、ワルド・デ・ロス・リオスの編曲によるモーツァルトの2本のホルンと弦楽四重奏のためのディヴェルティメント《音楽の冗談》(K.522)の終楽章がオープニングによって長年にわたり紹介されてきた。

19ロナルド・ビンジ:セーリング・バイ

セーリングは、1896年の第1回オリンピック大会からオリンピック種目となっている。イギリスでは、BBCラジオ4の深夜の海洋気象予報を紹介するなど、軽音楽として親しまれており、穏やかなワルツのリズムは、多くのリスナーを眠りに誘うことで知られている。ダービー生まれのロナルド・ビンジ(1910-79)は、1963年にこの曲を作曲し、編曲も手がけている。

18エリック・サティ:スポーツと気晴らし

サティの《スポーツと気晴らし》は、1914年に作曲された21の短いピアノ曲からなる組曲である(出版は1923年の末)。

このユニークな作品の中で言及されているスポーツは、すべてがオリンピック・スポーツというわけではないが(例えば、海水浴、目隠し鬼、いちゃつきなど!)、ヨット、レース、そり、テニスなどが含まれている。今日ではこの作品はしばしばサティがそれぞれのテーマに与えたシュールレアリスムの散文詩とともに演奏される。

17:レナード・バーンスタイン:オリンピック賛歌

このオリンピック賛歌は、クラシック音楽の中でもオリンピックに最もふさわしい曲の一つで、1981年に西ドイツのバーデン=バーデンで開催された国際オリンピック会議のためにバーンスタインが作曲し、ドイツの作家・詩人であるギュンター・クナートが歌詞をつけ、ハーシー・ケイがオーケストレーションを担当したものである。この曲は、1996年にジョン・ウィリアムズがボストン・ポップス・オーケストラとタングルウッド祝祭合唱団を指揮して、アルバム『サモン・ザ・ヒーロー(Summon the Heroes)』に収録するまで録音されていなかった。

16:ジャック・オッフェンバック:ホフマン物語

オリンピックと直接的な関係はないが、登場人物の一人である「オランピア」は、オッフェンバックの大人気オペラの第1幕で主人公のホフマンが恋に落ちる機械人形の名前である(オッフェンバックはオペラ初演の4ヵ月前、原稿を手にしたまま1880年10月に亡くなった)。

オランピアは、オペラで最も有名なアリアの一つである「森の鳥はあこがれを歌う(LesOiseaux dans la Charmille)」(〈人形の歌〉として知られている)を歌っている。その間、彼女は停止してしまい、歌を続けるためにはねじを巻き上げる必要がある。それはどんなソプラノにとっても試練の曲でもあり、完全に金メダルに値する。

15:アーサー・サリヴァン(ウィリアム・S.ギルバート脚本):

喜歌劇《ミカド》より「私たちは日本の紳士だ」

2021年のオリンピック開催地にちなんだセレクションだ。ティティプーという架空の町を舞台にしたギルバート&サリバンのコミック・オペラは、1885年にロンドンで上演され、それまでの劇場作品の中で最も長い上演期間を誇ったオペラの一つだ。序曲の後、オリエンタルふうなメロディで、オープニングで歌われるこのコーラスは、ココの公邸の中庭でティティプーの紳士たちが自己紹介するというものである。

14:ウォルター・ブラッドリー・キーラー:オリンピック賛歌

35年の間、最初のオリンピック賛歌(6.サマラス:《オリンピック賛歌》の項を参照のこと)は忘れられていた。そのため、1928年に国際オリンピック委員会は《オリンピック賛歌》のコンペ開催に着手する。

そのコンペでは金、銀、銅のメダルが授与され、優勝者には500ドルの演奏権が与えられることになっていた。審査員はアメリカ人のみで構成されており、受賞したのは意外にも同郷のピアニスト、ウォルター・ブラッドリー・キーラーであった。英米教会の賛美歌のスタイルで書かれたアンセムは、1932年7月30日に第10回オリンピックの開会式で演奏された。

13:アントニオ・ヴィヴァルディ:歌劇《オリンピアーデ》

このオペラの筋書きは、メガクレが、かつて自分の命を救ってくれた友人リーチダの名でオリンピックに出場するために、かろうじてシキオンに到着するところから始まる。メガクレの知らないところで、リーチダはアリステアに恋をしていた。

アリステアは、彼女の父であるクリステネ王からゲームの勝者に手を差し出されることになっている。この後、物語はさらに複雑になっていくが、偉大なピエトロ・メタスタージオのリブレットには、後に50人以上の作曲家たちによって作曲がされた。

12:サー・エドワード・エルガー:《海の絵》から〈泳ぐ人〉

マイケル・フェルプスやマーク・スピッツのことではない。荒れた海の中で、失った恋人との幸せな時間を思い出したり、突き上げる波の中で溺れてしまうことを想像したりしながらの、荒々しい泳ぎを思い浮かべてほしい。

エルガーは、オーストラリアの詩人アダム・リンゼイ・ゴードンによるこの勇敢な詩に作曲し、彼の輝かしい連作歌曲《海の絵》の最終曲である第5曲として配置した。初演は1899年10月5日、ノーフォーク・アンド・ノリッチ・フェスティバルで行われた。エルガー自身が指揮を取り、コントラルト歌手のクララ・バットが人魚に扮して歌っている。

11:マイケル・トーキー:ジャベリン

オリンピックを祝うクラシック音楽として最適な作品の一つである《ジャベリン》は、アメリカの作曲家マイケル・トーキー(1961年生まれ)の最も有名な作品といえるだろう。

この曲は、アトランタ交響楽団の創立50周年を記念して、アトランタ・オリンピック委員会が委嘱したもので(1994年9月に同楽団が初演)、1996年のアトランタ夏季オリンピックの開会式で演奏された。

10:アーノルド・ステック:スポーティング・オケージョン

レスリー・ステイサム(1905-75)のペンネームであるアーノルド・ステックによる軽快なオーケストラ音楽の名曲である。ソリフルで生まれた彼は、キャリアの初期を軍隊で過ごし、ウェルシュガーズのバンドで演奏していた。この曲の中間部をウィンブルドン選手権閉幕のテーマ曲としてご存知の方も多いだろう。

9:クロード・ドビュッシー:遊戯

1912年にドビュッシーが作曲したこのバレエのシナリオは、表向きはテニスの試合、つまり夕暮れ時に失われたテニスボールを探す3人の人々を描いている。しかし、少年と2人の少女の間には、かくれんぼやお互いの関係など、別のゲームが存在している。

《遊戯》は、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスのために作曲され、ヴァ―ツラフ・ニジンスキーが振り付けを担当。1913年5月にパリで初演された。

8:ジョン・ウィリアムズ:オリンピック・スピリット

1984年に発表した「ロサンゼルス・オリンピックのファンファーレとテーマ」の成功を受けて、NBCは1988年の韓国・ソウル夏季オリンピックの放送用に作曲を依頼。しかし、この大会の公式ソングは、韓国のバンド「コリアナ」の〈ハンド・イン・ハンド〉で、韓国語と英語で歌われている(作詞はトム・ホイットロック)。

7:スコット・ジョプリン:イージー・ウィナーズ

ピアノ・ラグタイムの作曲家、スコット・ジョプリン(1868-1917)の代表的な作品の一つ。1901年に作曲されたものです。

楽譜の表紙には「ラグタイム・トゥー・ステップ(A Ragtime Two Step)」と記され、野球、サッカー、競馬、ヨットなどのスポーツで難なく勝利している絵が描かれていた。ジョプリンは、中央の「トリオ」セクションを、競馬のスタートを思わせるラッパのような音色で始めている。

6:スピロ・サマラス:オリンピック賛歌(オリンピック・アンセム)

ギリシャのオペラ作曲家スピロ・サマラス(1861-1917)は、オリンピックの公式アンセムの作曲者として歴史に名を残している。ギリシャの作曲家コスティス・パラマスが作詞したコラール・カンタータで、1896年にアテネで開催された第1回近代オリンピック大会の開会式で初演された。この曲は、1958年に正式にオリンピックの公式アンセムとして発表されている。1960年以降、各オリンピック大会の開会式と閉会式で歌われており、ギリシャ語で歌われることもあるが、通常は英語で歌われる。

5:ロン・グッドウィン:トラップ

曲のタイトルや作曲家を知らないかもしれないが、音楽はほぼ確実にご存じだろう。厳密にはオリンピックの構成要素ではないものの、オリンピック競技の中で最も象徴的なものの一つであるマラソンを表現している。

毎年、ロンドン・マラソンの中継で流れるテーマとして使用されている。グッドウィンは、スポーツ・イベントのためではなく、オリバー・リード主演の1966年の映画『トラップ(The Trap)』のサウンドトラックのためにこの曲を作曲した。

4:ドミトリ・ショスタコーヴィチ:祝典序曲

1980年にモスクワで開催された第22回オリンピックは、66カ国がボイコットし、必然的に金メダルの半分以上をソ連と東ドイツが獲得したことでも知られている。大会の公式テーマとして採用されたのは、ショスタコーヴィチの豪快な《祝祭序曲》。この曲は、1947年に「10月革命」の30周年を記念して作曲された。

3:ヴァンゲリス:炎のランナー

ヴァンゲリスとして知られるエヴァンゲロス・オディセアス・パパサナスィウ(1943年生まれ)は、ギリシャのミュージシャン、作曲家で、1981年のイギリス映画『炎のランナー(Chariots of Fire)』の音楽を担当し、オリンピックを祝う最高のクラシック音楽の一つとなっている。

この映画は1924年にパリで開催されたオリンピック(第8回オリンピック)に出場したエリック・リデルとハロルド・エイブラハムスという2人のイギリス人選手の実話を描いた作品。シンセサイザーやピアノなどの楽器を使用することは、歴史映画の音楽としては大胆な選択であったが、ヴァンゲリスはこの作品でアカデミー賞のオリジナル・サウンドトラック賞を受賞した。

2:リヒャルト・シュトラウス:オリンピック賛歌

ドイツ・オリンピック委員会は、1932年の時点でリヒャルト・シュトラウスに、1936年にベルリンで開催される大会のためのオリンピック賛歌の作曲を依頼していた。歌詞はコンペティションで決定。3,000点の応募の中から、失業中のドイツ人俳優、ロバート・ルバーン(1903-74)の3連詩が選ばれた。

音楽の主要なテーマは、計画されたものの放棄されたシュトラウスの交響曲から派生したものである。シュトラウスはこの仕事に乗り気ではなかったようで、台本作成者のシュテファン・ツヴァイクに手紙を書いている。

「この降臨節の退屈しのぎに、スポーツが嫌いで軽蔑しているこの私が、オリンピック賛歌を作曲しているなんて。まあ、怠惰は諸悪の根源だからね」と。1936年8月1日に大会開催が宣言された後、シュトラウスは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、国家社会主義交響楽団、そして白装束をまとった1,000人の聖歌隊を率いて、この作品の初演を行った。

1:ジョン・ウィリアムズ:サモン・ザ・ヒーロー

1996年のアトランタ大会は、100周年記念のオリンピックであった。開会式で演奏されたこの作品は、ジョン・ウィリアムズが1984年から2002年にかけてオリンピックのために作曲した4曲のうちの3曲目にあたる。

トランペット奏者のティム・モリソンに捧げられた《サモン・ザ・ヒーロー》は、オリンピックのための最も優れたクラシック音楽に与えられる金メダルを受賞した作品で、1996年の初めにロンドンで報道関係者向けに演奏されたが、1996年7月19日に作曲者の指揮するアトランタ交響楽団によって正式に初演されている。

Written By uDiscover Team


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