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ルーツ・ミュージック:ボブ・マーリーの家系図

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1971年、ボブ・マーリーは「Small Axe」という曲を録音した。これは、彼が思うところのジャマイカ音楽界の‘ビッグ・ツリー’(スリー)、すなわち大物プロデューサー3人を攻撃する曲だった。「大きな木(ツリー)を小さな斧(アックス)で切り倒してやる」 ―― ボブ・マーリーの言葉遊びのおかげで、この曲はそんな印象に仕上がっていた。

彼の挑戦は成功した ―― 誰もがそう言うだろう。70年代半ばには、ボブ・マーリーは第三世界最大の音楽スターとなっていた。彼はジャマイカ文化を世界に伝える代表者として活躍し、レゲエという音楽を世界に知らしめたが、1981年にボブ・マーリーは36歳という若さで亡くなってしまった。彼亡きあと、誰がレゲエの代表者として頭角を現すのか ―― 先行きは不透明だった。それからしばらく時間はかかったが、結局のところそんな心配は無用だった。なぜならボブ・マーリーはそうした点についてもぬかりがなかったからだ。彼は大きな木の持ち主だった。つまりたくさんの子孫がいたのである。こうしてボブ・マーリーの一族は、またもや全世界的にレゲエ・ミュージックをもたらすことになった。

まずは歴史を少しさかのぼろう。ボブ・マーリー本人も「No Woman, No Cry」の中で「この素晴らしい未来が来ても自分の過去は忘れられない」と歌っているのだから。ボブ・マーリーは、イギリス海軍大尉ノーヴァル・マーリーと美しいジャマイカ人女性セデラ・マーリーとのあいだに生まれた。1963年に2枚のソロ・シングルを発表したあと、彼はウェイラーズというヴォーカル・グループを結成(他の主要メンバーはピーター・トッシュとバニー・リヴィングストン)。このグループは60年代から70年代初頭にかけてジャマイカでたくさんのヒット曲を出している。1974年のグループ解散後、ボブ・マーリーはやはりウェイラーズという名前でバンドを結成し、その活動によって世界的なスターとなった(このウェイラーズをサポートする女性グループには妻のリタも参加していた)。ボブ・マーリーは第三世界から出た初めての‘ロック’のスーパースターとなり、死後も一種の象徴として名声を保ち続けた。70年代風ドレッドヘアを特徴としたその陽気な反抗者の風貌は、周囲を包むマリファナの煙と共にポスターに描かれ、無数に出回っている。

ボブ・マーリーとリタは、セデラ(1967年生まれ)、デヴィッド・”ジギー”・マーリー(1968年生まれ)、ステファン(1972年生まれ)という3人の子をもうけた。またボブ・マーリーは、リタの連れ子のシャロン(1964年生まれ)も養子にしている。1979年、この4人の子供達はメロディ・メイカーズを結成(その後グループ名はジギー・マーリー&ザ・メロディ・メイカーズに変わった)。同じ年にはデビュー・シングル「Children Playing In The Streets」を発表している。1989年から1998年までのあいだに、このグループはグラミー賞を3度受賞した。ステファンは2007年からソロで作品を発表し始め、同年発表のファースト・アルバム『Mind Control』が全米チャートのトップ40に入るヒット作になっている。また2011年には傑作アルバム『Revelation Part 1: The Root Of Life』も出している。

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デヴィッド・”ジギー”・マーリーはセデラ、ステファン、シャロンと共にメロディ・メイカーズを結成

ボブ・マーリーにはリタ以外にもたくさんのガールフレンドがいた。そのひとり、ルーシー・パウンダーとのあいだにできたジュリアン・マーリー(1975年生まれ)は、ボブの子供の中で唯一のイギリス生まれ。ルーシー・パウンダーは自分の息子もマーリー・ファミリーの一員として育て、定期的にジュリアン・マーリーをジャマイカに連れて行って異母兄弟と会わせていた。ジュリアン・マーリーはマルチ・インストゥルメンタリストだが、父と同じようにギブソン・レス・ポール・スペシャルを演奏することが多い。彼は90年代初めからシングルを発表し始め、今も先鋭的な歌手として活発に活動中。2016年にも優れたシングル「War Zone」を出している。

ダミアン・マーリー(1978年生まれ)は、1976年のミス・ワールド、シンディ・ブレイクスピアとボブ・マーリーのあいだに生まれた子。異母兄弟の多くとは異なり、父と同じ道には進まなかった。ダミアン・マーリーはジュニア・ゴングというニックネームの持ち主で(ボブ・マーリーはタフ・ゴングというニックネームだった)、歌ではなくラップを選び、マーリー・ファミリーの中では唯一のレゲエDEEJAY(*レゲエでのラッパー/シンガーの呼称)となっている。ダミアン・マーリーはデビュー・アルバム『Mr. Marley』を1996年発表し、それ以来父に次いでアーバン系の舞台で最も力を発揮するマーリー家の人間となった。実にコンテンポラリーな内容のアルバム『Welcome To Jamrock』は2005年にアメリカでゴールドディスクを獲得。アルバム・タイトル曲はモダン・レゲエの代表曲となっている。2010年、ダミアン・マーリーはナズとのコラボレーション・アルバム『Distant Relatives』を発表。この高く評価されたアルバムからは、アンダーグラウンド・シーンでの大ヒット曲「As We Enter」が生まれている。これはエチオピアのジャズをサンプリングしており、そうしたルーツのつながりは父ボブ・マーリーも生きていればきっと誇りに感じたはずだ。さらにダミアン・マーリーは、ミック・ジャガーやデイヴ・ステュアートとのコラボレーション・プロジェクト、スーパーヘヴィに参加したほか、スクリレックス、サイプレス・ヒル、ショーン・ポールとも共演している。

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ニューヨーク・ヒップホップのカリスマ、ナズとダミアン・マーリー。2010年に。

キマーニ・マーリー(1976年生まれ)は、ジャマイカの一流卓球選手アニタ・ベルナヴィスとボブ・マーリーのあいだに生まれた。マイアミで育った彼は当然のように子供時代はスポーツに専念していたが、母の勧めで父と同じ音楽の道を探るようになる。最初はラッパーとして活動を始めたが、やがて歌手の才能を開花させた。その声を聴けば、たとえ名字がマーリーでなかったとしても父親が誰かわかりそうだ。キマーニ・マーリーは、時として父ボブ・マーリーと驚くほど似た歌声になるのである。そのそっくりな声が世間に知られることになったファースト・アルバム『Like Father Like Son』(1996年)では、「Kinky Reggae」や「Johnny Was」といったさまざまなボブ・マーリーの曲が大胆なアレンジでカヴァーされている。しかしキマーニ・マーリーの才能はそれだけに留まらない。サード・アルバム『Many More Roads』では、そのキマーニという名(意味は「冒険心のある旅人」)にふさわしい傑作に仕上がっている。ヒップ・ホップ・レーベルのジー・ストリートと契約した彼は、アルバム『The Journey』(2000年)を発表。ここからシングル・カットされた「Dear Dad」は子供のころに父宛に書いた手紙を元にした感動的な曲で、全英レゲエ・チャートの1位を獲得した。またキマーニ・マーリーはP.M.ドーンやシャギーといったアーティストとのコラボレーション・シングルを多数発表しており、特にプラーズ(フージーズ)と共演した「Electric Avenue」(エディ・グラントのカヴァー)はヒットを記録している。2016年にはドイツのレゲエ歌手ジェントルマンと組んだソウルフルなジョイント・アルバム『Conversations』を発表。彼が自分の作品に本気で取り組み、またジャマイカの音楽的伝統に通じていることは議論の余地がない。キマーニ・マーリーはレゲエ新世代の中でも特に知的なミュージシャンのひとりである。

マーリー家の驚くべき音楽的遺伝子は、最近ではボブとリタの孫にまで成功をもたらしている。セデラの息子スキップ・マーリー(1996年生まれ)はジャマイカ生まれのマイアミ育ちで、2015年にメロウなデビュー・シングル「Cry To Me」を発表している。題名は1966年のウェイラーズのヒット曲と同じだが、曲そのものはかなり違う内容になっていた。彼は2016年にGAPジーンズの広告に登場し、メディアでの知名度を大きく上げている。また2017年にはボブ・マーリーがかつて所属していたアイランドと契約し、優れたシングル「Lions」を発表した。さらにはケイティ・ペリーの大ヒット曲「Chained To The Rhythm」にも参加(曲の共作も担当)。2017年のグラミー賞の授賞式では、ふたりで見事なパフォーマンスを披露している。

Skip Marley – Lions (Official Video)

ボブ・マーリーのサウンドは子供たちや孫たちにとって今も土台となっており、みなその影響を否定しない。ボブ・マーリーはその短い生涯のあいだに音楽の世界を激変させた。それを考えれば、ボブ・マーリーが抱いていたラスタマンのヴァイブレーションを子供たちがさらに身に染みて感じるようになるのは必然的なこと。ボブ・マーリーと同じようにマーリーの一族は社会問題に積極的な関心を抱き続けている。ボブ・マーリーの祖国ジャマイカや心の故郷アフリカの貧困から目を逸らすことはできない。ボブ・マーリーの妻リタが管理するマーリー家の事業収益のおかげで、マーリー一族はコミュニティの中でも特権階級のような立場にある。しかしそれだけに留まらず、彼らはかなり積極的にコミュニティでの活動を繰り広げている。

リタも注目に値する人物だ。彼女は自らも歌手であり、1966年にボブ・マーリーと結婚するまでは自分のグループ、リタ&ザ・ソウレッツでスカやバラードの優れたシングルを出していた。1966~67年にウェイラーズが自らのレーベル、ウェイルン・ソウルムから初期のレコードを出していたころには、グループ内でも重要なメンバーとなっていた。またそのウェイラーズの解散後は、ボブ・マーリーの絶頂期のバック・コーラス・グループ、アイ・スリーズのメンバーになっている。

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ウェイラーズ解散後、中央に写るリタ・マーリーはアイ・スリーズのメンバーとしてボブとの活動を続けた

リタはボブ・マーリーの王国をまとめ続けているだけでなく、王国の範囲を大きく広げてきた。たとえ自分の生んだ子供でなくても、ボブ・マーリーの子供らを受け入れ、彼らをひとつの生命体の一部として讃えてきたのである。マーリーの名前は清涼飲料や衣類などのブランド名にまで広がっている。それでもリタは、そうした事業の中核にあるもの、つまりボブ・マーリーの音楽やラスタファリアニズムへの傾倒、さらには愛と調和を訴えたメッセージを忘れてはいない。マーリー一族という大きな木は、他の音楽家一家にはとても真似できない唯一無二のものに成長した。しかしリタは、その根っこ(ルーツ)がボブ・マーリーと同じ土地の上にしっかりと留まることを保証してきた。「Small Axe」も「Lions」も、「I Shot The Sheriff」も「Nail Pon Cross」も、根本的にはすべて同じ生命体の一部。大きい斧であろうと小さい斧であろうと、もはやそれを切り倒すことなどできないだろう。


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