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ザ・ビートルズがハリウッドを圧倒した時『Live At The Hollywood Bowl』

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The Beatles Live At The Hollywood Bowl Album Cover

北米に進出し始めた段階で、ザ・ビートルズは既に3年間もライヴ活動の経験を重ねていた。そのあいだには故国イギリスだけにとどまらず、過酷なハンブルグ巡業(スター・クラブへの出演)もこなしている。こうしてジョンポールジョージリンゴの4人は、しっかりとライヴの経験を重ねたベテランとなっていた。イギリスで熱烈なファンを獲得した彼らは、ザ・ビートルズ旋風がピークに達した1964年の初め、次の照準をアメリカに定めた。

この時点になると、ザ・ビートルズのメンバーは観客席から投げつけられそうなものは既に全部見たと考えていた ―― なにしろハンブルグでは、文字通りありとあらゆるものが投げつけられていたのだから。それでも、イギリス最高のバンドを歓迎するために集まったアメリカのファンはイギリスのファンを上回る熱気で4人を圧倒した。ザ・ビートルズがアメリカで最初に大きな反響を呼んだのは、「エド・サリヴァン・ショー」に出演したときのこと。その模様は、1964年2月9日に北米全土の家庭に向けて放送された。視聴者数は推定7,300万人 ―― このとき「エド・サリヴァン・ショー」は番組始まって以来の最高視聴率を叩き出した。この出演を皮切りにブリティッシュ・インヴェイジョンが怒濤の勢いで始まり、ザ・ビートルズは一夜にして有名人になった。

「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years」本予告

 

首都ワシントンで初コンサートを行ったあと、ザ・ビートルズはニューヨークの有名なカーネギー・ホールのステージを踏む。その後「エド・サリヴァン・ショー」にはさらに2回出演した(どちらも放送日は日曜日)。本人たちが帰国したあとも、アメリカのザ・ビートルズ熱は高まるばかり。ただし夏に再びアメリカを訪れた4人は、過去の開拓者と同じ目的地 ―― つまり西海岸を目指した。

こうしてザ・ビートルズは、1964年8月23日にハリウッド・ボウルに出演した。会場はスケールの面ではおそらくシェイ・スタジアムに次ぐ大きさ。そんな大会場であるハリウッド・ボウルに、ザ・ビートルズは1年間に3度出演することになる。この1964年8月のコンサートのあとは、1965年の8月29・30日に2日続けてライヴが行われている。それら3公演から選りすぐりの演奏を集めたのが、1977年のアルバム『The Beatles At The Hollywood Bowl(邦題:ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル)』だった。

この音源は観客の絶叫が演奏に被さっていることで有名だ。おそらくこれは、ザ・ビートルズ旋風の熱狂ぶりを最もよく伝える作品なのではないだろうか。そのマスターテープをジャイルズ・マーティンとアビイ・ロードのエンジニア、サム・オーケルが発掘したことにより、この『Live At The Hollywood Bowl』はまた新たなかたちで蘇った。ボーナス・トラック4曲が追加されたこのリマスター版で、ファンはついに当時のザ・ビートルズの演奏をはっきりと確認することができる(メンバー自身は自分たちが演奏する音を聴くことさえできなかったのだが)。

このニュー・マスターでも、ハリウッド・ボウルに詰め込まれた約2万人の熱狂的ザ・ビートルズ・ファンの絶叫は完全には消えていない ―― しかしそれは決して悪いことではない。イギリス最高のバンドを目にしただけで身も心も張り裂けんばかりになった観客の声は、50年後の今聴いても驚異的なのだから。こうした様子からは、ザ・ビートルズが台風の目だったことが感じ取れる。ただしその台風は実に貪欲な台風であり、進路にあるものすべて、そして最終的には自分自身をも飲み込もうとしていた。そんな狂乱の渦に周りを囲まれているにもかかわらず、ザ・ビートルズの面々はステージ上で奮闘し、驚くほど平静に曲をやりこなしている。

ここでの「ツイスト・アンド・シャウト」(演奏位置がコンサートの最後から最初に移されたばかりだった)は、有名なアルバム『Please Please Me』収録ヴァージョンをもしのぐ強烈な仕上がりになっていた。ここでのジョンは、ほとんどの歌手がステージ最後まで取っておくような激しい歌声を披露している。そうした爆発的なエネルギーが『Live At The Hollywood Bowl』には記録されていた。一方このアルバムでは、ザ・ビートルズのメンバーの熟練した演奏ぶりも確認できる。周囲の狂騒をよそに、彼らは最初から最後までプロとしての仕事に徹していた。観客の絶叫にかき消され、自分たちの演奏さえ聴くことができない……とザ・ビートルズが発言していたのは有名な話(このアルバムでも、ある時点でポールは「こちらの音、聞こえてる?」と尋ねている)。しかし「Ticket To Ride(邦題:涙の乗車券)」を聴けば、それでも演奏には問題がなかったように思える。ジョージの弾く冒頭のフレーズもリンゴの正確なドラムスも完璧な仕上がりだった。

ただし、プロの仕事に徹していても、メンバーの個性が消えたわけではない。曲を紹介するジョンとポールは、上品な司会役であると同時に小粋な芸人コンビでもあった。自分たちのいる状況をユーモラスに感じたふたりは、おどけた囁きを交わしている ―― ある時点では、ジョンが観客の馬鹿げた振る舞いを見て吹き出していた。そうしたやり取りからは、当時のザ・ビートルズが置かれていた状況が痛烈なまでに伝わってくる。激流の真ん中で、このリヴァプール出身の4人の若者たちは音楽を一緒に演奏しながら、世界を変えようとしていたのだ。

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